わたしは自分ことを「剣の理法」が体現できているとはけっして思っていません。が、齢78歳、これまで六十数年間剣道一筋に修業し、いちおう範士の称号を戴いた身として、自分なりの「基本理念」としているものがあります。
その三本の柱を申し上げます。
基本理念
一 利を追わず理にしたがう
二 ぶれない体軸と太刀筋
三 ひるまない身体と心
これについては、「その一『一人ひとりが道を求め』」
http://shinjukukendo.blog105.fc2.com/blog-entry-1.html
を平成23年(2011年)3月26日に記しておりますが、あれから14年余り、もう少し修業を重ねた身の上として書き加えたいと思います。
一番目の「利を追わず理にしたがう」は、すなわち「剣の理法」そのものです。目先の利ではなく理に適った応答関係をめざし、日頃の稽古に励むことが肝心であるということです。
ややもすれば相手の打突部位を打突するという、目先に焦点を当て過ぎるため、気が急ぎ、身体がこわばり、かえって目的を果たせない。
「剣の理法」を理解する一番の方法は日本剣道形にあると私は考えます。
これは前回も申し上げましたが「日本剣道形の理法を竹刀剣道に生かす」ことです。
日本剣道形は、まず全剣連の『日本剣道形解説書』また『剣道講習会資料』に記述してある内容を一字一句違うことなく践み行うことが求められます。
同書には、打太刀は「師の位」、仕太刀は「弟子の位」と規定されており、師と弟子の関係を理解し、原則として仕太刀は打太刀に従って始動することとなっています。
日本剣道形を修錬することにより、打突の原形や機会を自得し、理法と技能を体得するものである、としています。
この日本剣道形は、打太刀が仕太刀に打つ機会を教えるために、機を見て技を仕掛ける。それを仕太刀は、よしきた、とばかり「抜き」「すり上げ」または「返し」などの技で応じます。
打太刀と仕太刀の呼吸がピッタリ合い、緩急強弱を心得た、間拍子よく発気揚々と演じられる日本剣道形には魅了される剣の世界が展開されます。
しかし、打太刀「師の位」、仕太刀「弟子の位」の気構えで立ち向かう日本剣道形は、あくまで形稽古なのです
「剣の理法」により展開する場面は、この形の組太刀と実際の勝負は立場が逆転するのです。
この日本剣道形の立会を〝真剣勝負の観点でみる〟ならば、「師の位」であるはずの〝打太刀が敗者〟となり、「弟子の位」である〝仕太刀が勝者〟となる、立場が逆転することに心しなければなりません。
江戸時代の中期に防具が考案され、今のような竹刀防具剣道が次第に定着していきますが、それまでは組太刀による形稽古が主流でありました。
先ほど「説明」(理合)では、打太刀(師匠)と仕太刀(弟子)が逆転すると言いましたが、形稽古を指導しているなかで弟子が日本剣道形の「説明」(理合)のごとく弟子が攻め上げ師匠が仕方なく先に技を出してしまう。この段階に来たら師匠は、「もはやこれまで」と免許皆伝など印可を与える。師弟の訣別です。
これが守破離の「破」の段階です。
現代剣道では守破離ははっきりしませんが、形稽古では厳然として存在していました。
日本剣道形と竹刀剣道とは打突の動作に違いはありますが、日本剣道形で仕太刀が打太刀に仕向ける先の気位から、間と気が合致した身心の応答を、ぜひ竹刀剣道で体現したいものです。
この理に適った剣道を目指す稽古こそ『剣道の理念』が謳う「剣の理法の修錬」であり「人間形成」につながる「道」であると考えるものです。
日本剣道形の理法を竹刀剣道に活かし、もう一つ高みを求めた稽古を日頃から心懸けましょう。
今まで申し上げたのが、三本柱の一番目「利を追わず理にしたがう」であります。
次回は、二番目「ぶれない体軸と太刀筋」について申し上げます。
つづく